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願いよ、叶え。  2005.2.2

 受験シーズンになりました。たくさんの学生さんたちが、合格の願いを胸に、必死になって勉学に励む姿が見られます。人事を尽くした後は、天命を待つことしかできません。そんなわけで、神社には祈願を記した沢山の絵馬が鈴なりにぶら下がっていたりします。

 ところで、この、「願い」というのはなんでしょうね。

 過去から僕のコラムをお読みの方には失笑を買ってしまうかもしれませんが、今回もまずはGoo辞書から引用してみます。(このやり方、安直なわりに高尚に見えるので、私はつい多用してしまいます。ある意味、ちょっとみっともないんですけどね)

 ねがい【願い】

  (1)こうなってほしいと思う物事。
   「―がかなう」「―をこめる」
  (2)こうしてほしいと人に頼む事柄。
   「―を聞き入れる」「一生のお―」
  (3)希望を書いて提出する届けなど。
   「異動―」
  (4)祈願。願(がん)。
   「神仏に―をかける」

 (1)は物事に対して、(2)は人に対してと、対象の違いはありますが、あるひとが「こうなってほしい」と思っていることを、実現したいと思う心の働きを表す言葉ですね。
 (3)については、今述べた心の働きを言葉にして、文書に記したもの。(4)については、同じく言葉にして、神仏に述べたものと、(1)や(2)について、何かに伝える経過や手段を表すものとして、意味が拡張されたものとなっています。

 そんなわけで、強引にこの「願う」という言葉を説明するとすれば

  「現状又は未来において、対象が自らの望む姿に変化することを期待する心の働き」

 といえるでしょう。

 さらっと言ってしまいましたが、ここでのポイントは

  1 願いを抱く「主体」(ひと)が必ず存在すること。
  2 変化して欲しい「対象」が必ず存在すること。
  3 期待しているのは「変化」であること。

 この3つになります。

   ▽ △ ▽ 

 1は当然、願いを抱く人が居なければ、そもそも始まりようもありませんから、当然ですね。次に、2についても、対象なしには、願いようもありませんから、いうまでもありません。ただ、3については、あっさり「変化」と言っていますが、ここに大事なことが含まれています。
 それは、変化を期待するということはつまり、少なくとも現状においては、対象は願う人にとって、不本意な姿であるか、もしくは、不確定でどちらにも転びうるかであるということです。
 言い換えれば、「願うひとが望んでいる姿ではない」のだということです。

 望まない、または望ましくない姿であるからこそ、変化を望むのです。
 その対象が確定してようがしていまいが、です。

 このあたりが難しいところで、当人が納得してしまえば、周囲がみてどんなに望ましくない状態であっても、それは願いにはつながって行かないでしょうし、逆に、周囲が明らかに願う必要がない、若しくは、願うべきではないことを、願ってしまうこともあるでしょう。
 おおきく主観に左右されるものだということなのです。

 そんなわけで、到底実現不能なことを願うひとも居ますし、逆に、非常に容易に実現できることでも、願わなければそのままです。

 つまり、その人が、周囲を取り巻く現実をどのように捉えているか、いわば、その人にとっての「世界観」が大きな意味を持ってくるわけです。

   ▽ △ ▽ 

 この世界観ひとつで、その人のあり方、生き方は大きく左右されます。穏やかな世界観の元に生きられる人は、穏やかに暮らすことができるでしょうし、厳しい世界観を持たざるを得ない環境におかれたひとは、やはり厳しい生活を強いられるでしょう。
 ところが、現実が恵まれて居ようが居まいが、正しく現実が捉えられていなくて、その人が持つ世界観と、現実世界とがずれていたりしたら、きっと、いつもちぐはぐで、常にボタンを掛け違えているような、どこかしっくりこないまま過ごし続けることになることすらあるでしょう。たとえ、一見恵まれた環境にいようとも、このどこかちぐはぐな不全感は、きっとぬぐえないのではないかと思うのです。
 また、そんな状況の下で抱く願いも、やはりどこかずれていて、叶うと叶わないにかかわらず、思うような結果へとはつながっていかないのではないかと、思うわけです。

 だって、そうでしょう?
 対象が望む形へと変化することを期待することこそが、願いの本質なわけですから。それが、変化以前に、元となる対象すらしっかり捉えられていないんですから、何が期待できるでしょう。

 いかに現実とのずれの少ない世界観を持つことができるか。願いを抱き、それを実現してゆきながら、より充実した生き方を探してゆくためには、まず土台となるその部分をしっかり固めてやらなきゃいけないんでしょうね。そして、そのためには、素直な目で真摯に現実を見つめ、快いものも受け入れがたいものも、併せ呑み自分のものとする、強さと勇気が必要なのかもしれないですね。

 どうやれば、そんなまっすぐな心がけが手に入るんでしょう。
 そこは、僕にはまだ、わかりません