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 2004年11月

新しい自転車 2004.11.30[Tue]
   
   今まで使ってた自転車が余りに痛みが激しくて、もう乗れなくなってしまいました。
 数10メートル走るたびに、チェーンが外れます。

 私の通勤手段(私は勤め人)は自転車なものですから、勢いこの事態は、遅刻の危機へと直結します。
 でもって、仕方なく修理のため、自転車屋さんに行ったのですが・・

 「高くつくよ」

 この言葉に敢えなく撃沈・・
 パンクもしてるもんだから、見てもらったら、チューブ交換とのこと。
 あちこち痛みが来てて、それぞれ交換したり手を入れたりすると、平気で中古の自転車が買えそうな勢いです。

 仕方ない・・背に腹は買えられません。
 というわけで・・

 新車購入(笑)
 わーい通勤がすいすいだぁ。(実は超ごきげん)
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はじまり 2004.11.29[Mon]
   
   このちっぽけなノートでは
 僕の言葉は収まりきらない

 でもこのちっぽけなノートから
 僕の言葉ははじまったんだ

 収まりきらないけれど
 大切な ノート

  ☆  ☆  ☆

 それがこの ウェブサイト
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操作性の見直し 2004.11.28[Sun]
   
   昨日はおかしな?ことで、夜更かししてしまいました。
 おかげで朝眠いこと眠いこと。

  ▽  △  ▽

 このウェブサイト、もともとは、ポケットPCやPHSなどの、ちっちゃい画面のモバイル機器用のサイトとして出発しました。おかげで、コンテンツがどれも小さくて見にくいこと。
 自分でもそう思うくらいですから、わざわざお越しの方は、もっとそう思ってることなんでしょうねえ。(おいおい)

 まあ、そんな話はおいといて・・
 元々が、PC用のホームページじゃないものを、むりやりPC用に手直ししたものですから、行き当たりばったりな作りで、見にくい以前に、ページ間の移動もおかしなところがありました。

 しかし、このサイトも、開始4ヶ月半にして、やっとそこそこコンテンツも増えてきましたので、ここらで根本的な手直しをしとかないと、先延ばしすると作業量が半端じゃなくなります。

 というわけで、しかたなく、あちこち手直ししました。
 ぱっと見はなにも変わってませんが、こまごまとしたところは、修正したりリンク張り替えたりと、かなり手を入れています。

 興味ある方は、あちこちクリックしてみてくださいね。

  ▽  △  ▽

 ところで・・
 いくら手を入れても、一向に見やすくならないコンテンツがあります。
 日記(Diary)と自由帳(FreeNote)です。

 なんといっても、枠のサイズのわりに、文章が長すぎる。
 我ながら、呆れ果ててしまいます。

 もともと、小さい画面なら、毎日日記もちょびっと書くだけで見栄えはするから、更新も楽々ーとか思ってたのに・・
 いつの間にか、長文大爆発です。

 まあ単に、管理人が文章まとめる能力がないだけってことなんですけどね。

 ・・とまあ、そんな状態に、嫌気が差したので
 ためしにこんなもんを作ってみました。

  ここ  ← クリック

 PC画面用の表示枠を作ってみました。

 ・・・あまりにも本体とデザインが違いすぎる。(涙)

 本格導入するかどうかは、未定です。(爆) 
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夜更かし 2004.11.27[Sat]
   
   何故か深夜にしりとり。
 まともに相手する自分もよっぽどのお人よしだ。

 なんのこっちゃ。
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耳鳴り 2004.11.26[Fri]
   
   実は私、ずっと耳鳴りしてます。
 よくわかんないのですが、いつでも「きーん」って音が聞こえてるんですね。もう、3年弱くらい続いています。
 最初は気になって、耳鼻科にも行ったのですが、聴力検査にも引っかからないし、一応聞こえると思しき周波数を調べようってことになったのですが、結局それもわかりませんでした。
 でもって、実生活においては、特に支障がないし、特に気にしないことにしてたんです。

 それが・・

 ここ ←クリック

 「いろいろな周波数(可聴周波数などの実験)」です。

  ▽  △  ▽

 大体、人の耳に聞こえる、一番高い音というのは、大体2万ヘルツくらいといわれています。
 CDの録音周波数が44,000Hzになっているのですが、これは、デジタル録音というのが、録音周波数の実質半分までを正しく再生できることから、可聴域のおおよそ倍程度を取ってあるからなのだそうです。

 でもって、このページでは、いろんな高さの音が聞き比べられます。また、自分の限界にチャレンジすることも出来ます。

 で・・僕自身やってみたのですが・・

 なんと!
 僕の耳鳴りの周波数がわかりました。
 およそ1万7千ヘルツ〜1万8千ヘルツです。(爆)

 そりゃ調べられないわけだ。
 普通そんな高音調べないもんw

 僕は、四六時中こんな高周波を聞き続けてたのか。
 よく壊れないな、僕の脳みそw

 いつでも、キーーーーーーンw
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すっ飛ばした 2004.11.25[Thu]
   
   日記、一日飛ばしてました。
 帰宅が遅かったもんで、家に帰るなり適当に食事済ませてだらだらしてたら、気づいたら寝ちゃってたらしいです。
 いい加減だよなあ・・

  ▽  △  ▽

 えー、最近あまりにPCが重くて、辟易してたのですが、どうも、インターネットエクスプローラ(IE)のせいではないかと思い至りました。

 私は、タブブラウザといって、複数のインターネットのサイトをじゃかじゃか表示できるブラウザを使用してるのですが、最近、常時20ページくらい表示してることに気づいたんです。

 いくらなんでも、重いのは当たり前ですね。
 そんなわけで、安易にページを開かない設定にするついでに、IE以外の表示エンジンを使っているブラウザに変えちゃうことにしました。
 新しいブラウザは、Mozilla Firefoxです。

 そしたら・・
 ああ・・ 見え方が違うようちのサイト。(涙)

 おまけに、音楽切り替えるたびに新しいウインドウが開く有様。
 とりあえずあわてて簡易ミュージックセレクタの不具合を直しました。

 見た目のほうは・・・
 おいおい、対応します。(あー大変だぁ)

 ほとんど、フォントだけの問題なので、大問題でもないんですけどね。でもやっぱり、気持ち悪いじゃないですか。ページごとに明朝体とゴシック体が入り混じってたら。

 ・・って、ぎゃあああ。
 メニューから、WordsやIllust、Photoを表示したときもおかしいいいいいいい。
 (新しいウインドウが開いてしまう タブエクステンションの馬鹿・・)

 明日直します・・
 ここんとこ多忙続きなので、サイト更新ネタだけでごめんなさい。
 (涙)

 仕事ネタは書くに書けません。
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危うさに魅せられる 2004.11.23[Tue]
   
   よい天気の休日でした。

 ぶらぶら散歩ついでに立ち寄った書店で、こんな本を手にとって見ました。

 「毒草を食べてみた」 植松 黎 (文春新書)

  ▽  △  ▽

 人間、怖いもの見たさというか、危険なものにほど惹かれるのか、毒の歴史はとても古く、また、驚きと興味に満ちたものであります。危険であるがゆえに、本来タブーであるはずなのですが、それが実際には多種多様な毒が現在知られているわけです。

 これは結局、必要があったからこそなわけで、物騒ではありますが、そのおかげで科学(化学)も医学も進歩したともいえなくはありません。

 しかし、毒草という天然の産物に、これだけ多種多様な働きを持つ毒があるとは、漠然とは知ってたにせよ、新たな驚きでした
。また、それらが、どのように見つけられ、用いられていたかというのが、不謹慎かもしれませんが、非常に興味深いものです。

 思わず一気に読み下してしまいました。

 もうちょっとゆっくり読めばよかった。もったいないなあ。
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読める限界 2004.11.22[Mon]
   
   昨日、ちょっと思ったことをいつもより「ちょびっと」熱を込めて書いたら、文章が長すぎて、大変なことになりました。

 見てのとおり、このサイトは、コンテンツ表示の横幅が異様に狭いので、長文なんて上げたら大変なことになります。

 いくら読んでも終わらないような感覚しかしません。
 あとで自分で読み返してて、書いた本人ですら気持ち悪くなりました。(爆)

 あれでもかなりスリム化したのですよ。
 脱線を大幅にカットしたりしてね。(おいおい)

  ▽  △  ▽

 えーと
 今日は思い切って、サイト壁紙を作ってみました。
 イルカに朝焼け(夕焼け?)は似合わないかなーと思いながらだったのですが、意外と馴染んじゃいました。

 どんなもんでしょうか。

  ▽  △  ▽

 あと、MIDI演奏も、ちょっと改造してあります。
 今回、とうとうJAVASCRIPTとか言うものを導入してあります。おかげで、曲名が表示されるようになりました。

 SCRIPT(プログラムみたいなもん)を一から自分で書いたので、正直言って疲れました。

 ぜひ、PLAYボタンカチカチやってみてください。
 私が喜びます。(笑)
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言ってやりたいこと 2004.11.21[Sun]
   
 
 本文長すぎるので・・
 フリーノートに移行。

 サア読みに行こう(爆)

 ( ┬_┬)
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エゴグラム リターンズ 2004.11.20[Sat]
   
   前サイトのときから、何度か日記に登場しているエゴグラム。
 日記のネタが尽きたら登場と言われていたエゴグラム(爆)

 今回、4度目の登場です。(笑)

  ▽  △  ▽

 今まで、エゴグラムといえば、主に

  ここ ← クリック

 で遊んでたわけですが、今回は違うサイト。

 ストレスケア・オンライン 性格チェックテスト ← クリック

 こっちで遊んでみたいと思います。
 (私はこういう何とかテストとか、何とかチェックってのがすきなんです。あくまで遊びとして、ですよ、)

  ▽  △  ▽

 さて、遊ぶ前にエゴグラムの説明を。(毎度だなあ)

 エゴグラムは、アメリカの心理学者J.M.デュセイが開発した性格分析法で、今では世界中で広範囲な分野に用いられ高い評価を得ています。

 『エゴグラム』は人の心を5つの領域に分類してグラフにしたものです。

 『エゴグラム』はどの型が優れているとか逆に悪いとかいうものではありませんが、多くのエゴグラムを解析した結果、ある種の共通した性格や生き方が見られることもわかっています。

 分類は次のとおりになります。
 
  CP・・・批判的な親の心
  NP・・・養育的な親の心
  A ・・・冷静な大人の心
  FC・・・自由な子供の心
  AC・・・順応した子供の心 

  ▽  △  ▽

 さて、今回やったのは、仕事とプライベートのそれぞれについて、エゴグラム出しちゃおうという企画?です。(笑)
 今までは、総合的に性格をみて、「さーどうだ?」みたいな感じだったのですが、今回は、公私それぞれについて性格テストした上で、でどれくらいずれてるか、どれくらいゆがんでるか(うそ)を見るのも目的になっているようです。

 確かに、仕事とプライベートであんまりに違ってると、ストレスたまりそうですよね。なるほど、設置先のホームページの目的にも合います。

 というわけで、早速、やってみましょう。

  ▽  △  ▽

 結果は、 これw ← クリック

 思ったよりよくて、ほっとしました。(爆)

 総合面を見ると、NPが90%と、昔から変わらず高く、母性爆発のようです(爆笑)
 一方、今まで高かったAC(従順な子供)が下がり、逆に、地を這うように低かったFC(やんちゃな子供)が、信じられないくらい急上昇。
 抑圧されてたやんちゃ坊主が大爆発かぁ!?
 別人のように変化してました。(笑)

 ただ・・
 なんか仕事してるときのほうが全体的に高値傾向なんですけど・・

 なんか、無理して背伸びしてるんかな?僕。
 なんてったって、プライベートになると、A(冷静な大人)が激減してます。(涙)

 さすがにこれは、ちょっと凹むぞ・・(苦笑)
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大人の味? 2004.11.19[Fri]
   
 

こんなものをお土産にいただきました。

チョコレートなのですが、ハングルと紅蔘の文字。金色の包み紙。
怪しさがこみ上げてきます。

さて、当然のことながら、興味深々で食べてみました。

おお、おおおお。
(ー公ー;)  (←こんな顔になる。)

ほろ苦い高麗人参の味が、なんともチョコの苦味と絶妙の・・
んなわけなーい!(涙)
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いろいろ 2004.11.18[Thu]
   
  身の回りで起こってるはずなんだけど、日記にならない。
ネタはあるみたいなんだけどなあ。

ちょっと休憩させてね。
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声もなく 2004.11.16[Tue]
   
   けれども吼えている。

 熱いすじが頬を流れ続け、焼けるようにじりじりする。
 制御不能。

 卑怯。私も、卑怯。
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ありとあらゆるものが 2004.11.15[Mon]
   
   一気になだれのように押し寄せてくるような気がする。

 いったいどうしたことだ。
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久しぶり更新 2004.11.14[Sun]
   
   写真を久しぶりにアップしました。

 以前と変わらず更新してたつもりなんですが、よくよく更新履歴見ると、リンクだとか、フリーノートの追加だとか、こまごましたものばかりだったんですね。今頃気づきました。

 そういえば、先月末は公私共に多忙が続いて、おまけになんだかとても不安定だったりでもありました。
 思えば20日ぶりくらいの更新です。

 自分のサイトなのに、なに言ってるんでしょうね。

  ▽ △ ▽

 ところで、またまた小ネタ的更新なのですが、本を開いた上体のページの右下に、MIDIを演奏するスイッチをつけてみました。
 PLAYを押すごとに、曲が切り替わります。
 また、STOPで停止です。

 今のところ、フリーMIDI素材集から3曲お借りしています。

 興味あれば、聞いてみてください。
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忙しくもぼーっと 2004.11.13[Sat]
   
   過ごす。

 やたらといい天気で、青空がまぶしい。
 雲も程よく美しく浮かんでいて、素材用の雲写真でも撮ってみようかと思ったけれど、邪魔者なしに空を撮影できる場所が思いつかずに断念。

 なんて書くと、忙しいとかいいながら悠長、優雅な時間過ごしてるじゃないかと思われそうですが・・

 かちかち山です。
 お尻には火がついています。

 しばし現実逃避(笑)。
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じつは 2004.11.12[Fri]
   
  こっそり四歩展

くわしくはLinkのスタジオぶらぶらをご覧ください。

初めて原画で拝見しました。
あわせて、ご本人様についても拝顔しました。

もう最高です。
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いろいろパス 2004.11.11[Thu]
   
   墓参りいけなかった。_| ̄|○

 いろんな意味でいろんなことをパスです。
 だから日記もパスです。(爆)

 とにかくねむいんよー
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過去 2004.11.10[Wed]
   
   まだ首が痛いままです。相変わらず斜めってます(笑)
 首痛くなると、だんだんいろんなことを思い出します。
 昨日は完全に、過去にとらわれてしまっていました。

 だから、長引くと、あまりよくありません。
 暖めてとりあえず落ち着けましょう。

 僕にとっての冬は、マフラーが必需品です。

  ▽ △ ▽

 危うく忘れかけてました。

 明日は11月11日です。
 墓参りに行こう。

 忘れかけていた自分に、すこし、ほっとする反面、悲しかったりします。

 思い出ってのも、よしあしです。
 とらわれたくないと思いながらも、忘れたくない。

 とても、わがままです。
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幸せ 2004.11.9[Tue]
   
   僕は幸せという言葉が嫌いだ。
 だから、幸せという言葉を極力使わない。

 望めば望むほど、遠ざかる。
 こだわればこだわるほど、本質から離れる。

 それが、幸せ。

 だからいつも言うの。
  「今日はご機嫌いかが?」
  「ご機嫌でいられたらいいなー」

   ▽  △  ▽

 でもね、今日は祈ったの。

 「掛け値なしの幸せを感じられたらいいな、掴みたいな。」

   ▽  △  ▽

 流れる時は戻らない。
 移ろう心も帰らない。

 それでいい。
 形ばかりで中身のない言葉なんて要らない。
 言わないだけで、感じてるんだよ。

 だからね、今日は祈ってしまったの。

 「掛け値なしの幸せを感じられたらいいな、掴みたいな。」

 薄衣越しでしか人に触れられない人では掴めないものを手に入れたい。

   ▽  △  ▽

 僕は掴むよ。間違いなく。
 傷つき血を流すことを恐れないから。
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小首をかしげる 2004.11.8[Mon]
   
   2日連続でひたすらわけのわかんないことを書きなぐってしまいました。よくわかんなかった人、ごめんなさい。
 僕もわかりませんでした。(爆)

 さて・・

  ▽ △ ▽

 実は、首の筋違えてました。
 寝てるときにどうも、無意識のうちにコキッてやろうとしたらしく、次の瞬間、頭の半分がしびれるような激痛で目が覚めました。もー痛いのなんのって。

 でね・・
 外歩くと、道行く人が頭をかしげて通り過ぎます。

 不思議だなあと思って、よく考えると・・
 僕の首が斜めってる。(笑)

 いや、僕が傾いてるからみんなが傾いて見えたってことじゃないんですよ?
 首だけ斜めにして、あとは直立で背筋伸ばして歩いてるもんだから、通りすがる人たちが、不思議そうに、同じ角度で首をかしげてこっちを見るのです(笑)

 なんだか面白くて・・といいたいところですが、きっと、面白かったのは、見ている周りの人のほうだったのでしょう。あー恥ずかし。

 もう大丈夫です。元に戻りましたから。
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「我」が侭 (昨日に引き続きメモその2) 2004.11.7[Sun]
   
   思いやりについて、思うところがあり考えてみました。
 最終的には、フリーノートにあげていきたかったからです。

 ところが、そのための前段階として、思いついたことのすべてをメモのつもりで書いていたのですが、それがあまりに長文化してしまいました。

 まだ内容どころか、使っている単語レベルで未整理なままなのに、莫大な量です。いったいどこに持って行ったらいいものやら・・

 というわけ?で、そのまま載せちゃうという暴挙に出ます。
 
 普通の日記だけが読みたい人は、ここまでで読むのをとめといてください(笑)

 ----------------------

 さて、人と人の狭間にその身を置き、群れてこの世に生きよとこの種、人が定められて以来、生存は群れと個との間の両立、すなわち共生しつつも我を保つということを要求され続けている。

 なにしろ複数の人の中で生きるのであるから、自分自身と他のものとの間に、明確にその仕切りを見出さないと、自らを確立できない。私の体、私の糧、私の住処、などなど。
 私、つまり「我」というものを意識するためには、それとは異なるが同様の存在、つまり「他」が必要になる。他との比較の中で、もしくは他との共生の中で、我と他との境界線をひとつずつ見出してゆき、そのテリトリーの内側を「我」、その外側に居るものを「他」なり「彼」として認識することになる。
 私の取り分の飯を奪われれば奪ったものはより腹が膨れるが、その分私は腹をすかせることになるし、たとえそれなりに足りていたとしても、子供ですら菓子の分け前が公平でなければ不平を述べる。

 「あたしの方がすくなーい」

  ▽  △  ▽

 しかし、物質的なものはわかりやすいが、内面、つまり心における我とはいったい何なのだろうか。
 やはりそれは、まず、「自ら」が守ることができるテリトリー定め、次に、その領域を出来るならば少しでも拡大し、そして逆にそれが他から侵され、不当な状態になることに抗議、抵抗することから端を発しているのだろうかと、考えてみる。
 原始的な生活を想像すれば、出来るだけ自分の好きなように出来る領域が広ければ広いほど、食料も手に入るし、住処もより安全な場所を探すことが出来る。
 しかしながら、他とともに暮らせば、それぞれの持ち分というものが出来、それを侵犯しようとすれば当然のように強い抵抗にあうだろうし、また、協力関係の下にひとつの食物などを手に入れたなら、応分の取り分で満足しないと、同じく強い抵抗に合い、ともすれば群れから追い出されかねないことになる。

 それでも、群れなくとも一匹狼で生きられるのであれば、何の問題もないのであるが、どうも人間というのは、群れないとどうしようもないくらい生存力の低い生き物で、それが長年の間に身に染み付いて抜けなくなっているように思えてならない。

 だからこそ、本来ならば無限に我のテリトリーの拡大を望みそうなものであるが、実際には、たいていの場合において、他との衝突を最小限にするように自らの拡大を制限する。ただ、それが先天的にそうであるのか、群れの中で生きるうちに身に着けるものであるのかは、まだ私には漠然としかわからないのだが。

  ▽  △  ▽

 ところで、「衝突を最小限にするように拡大を制限する」と先ほど述べたが、では、どこまでの拡大ならば衝突しないですむかを見極めるのだろう。
 そのためには、やはり、相手の側の状況を考えてみたうえで、どこまでの範囲がテリトリーとして合理的であるかを、想像してみるよりほかはない。つまり、立場を置き換えた想像力というのが必要になる。

 哲学の世界で、自我に対応する「他我」というものがあり、これを理解することが出来るかが「他我問題」として重大に扱われている。これなど、結局のところ相手の立場に立つということが過去からずっと意識され続けているということに他ならないのではないかと思う。

 果たして、我と対峙する他という意識によって、せめぎあう自他の境界を見出すという消極的な意味での「相手の立場に立つ」ことへの意識付けが生じてくるのかと思える。

  ▽  △  ▽

 しかしながら、実際のこの社会において、相手の立場に立つというのは、自分のテリトリーの到達限界を見出すという消極的意義だけではなく、もっと積極的に、相手のテリトリーを尊重するという考え方まで展開されている。
 いわゆる思いやりというものである。

 精神分析におけるエゴとスーパーエゴのような関係とでも言うのであろうか。(スーパーエゴ=超自我は、無理やり一言でいうと、道徳や良心のようなものを指す)

 相手のテリトリーを積極的に尊重するということは、同時に自分の持ちうるエリアを、自ら縮小させ制限するということと同じことになる。
 これは本来個としての自己生存欲求とは逆行するもので、よってそこには我慢なり、忍耐なりというものが多少なりとも現れてくることになる。果たして何故わざわざ自らを縮小させてまで相手を尊重する必要性を見出すのであろうか。

  ▽  △  ▽

 それは結局、そのような行為をとり、互いがより親密な関係となることで、異なる場面においては相手側からの譲歩が得られることを期待しての行動であるのだろうか、と考えてみる。
 こう考えるといかにも打算的で偽善に満ちた発想だと思われかねないが、いや実際のところ、思いやりというのは、ただ単に譲歩すれば成り立つというものではなく、相手にとって適切なポイントを見つけた行為になっていないと成り立たないものである。
 たとえば、余計なお世話だといわれてみたり、逆に申し訳なく思わせてみたりということは、誰にでも経験があるものだと思う。(どうもしっくりこないけれど続ける)
 このように、思いやりというものが成り立つのは、相手方しだいという面が多分にあるものであるから、一概に偽善とまで言い切れるものではないと思う。
 ただいえることは、「思いやり」によって、他者との間に、より良好な関係が生まれる可能性があるということである。

  ▽  △  ▽

 ここからが肝である。
 より良好で、協力的な関係を結ぶことができるということは、すなわち、不完全ではあるにせよ、自分のテリトリーに準ずるものを手に入れる、もしくはそこまでは言わないにせよ、部分的に取り入れることが出来るということを意味するのではないかと、私は、そう考えてみたのだ。

 つまり、打算を通り越した協力関係を作り出すことによって、たった一つの個ではなし得ないエリアを、限定的にせよ自分が影響力のあるエリアとして手に入れることが出来るということである。
 もちろんこれは、同時に自分のエリアを、部分的に相手に対して開放するということでもあるのだが。

  ▽  △  ▽

 ここで、気をつけなければならないのは、決してこれが、相手と同化し、一体化するという意味ではないということだ。
 完全に一体化し、同化してしまえば、二人によって占められていたエリアは、ひとつのものとして取り扱うことが出来るかもしれない。しかし、実際には、生物としての個はあくまで2つのままであり、よって完全な同化など有り得ないということだ。
 これを忘れると、本来切り離されてなければならないはずのものが仕切りを失っているがために、切り分けることが出来ず、さまざまな問題を生み出して行くのは想像に難くない。
 よって、あくまで、先ほど挙げた思いやりによる協調関係というのは、自分というものを失わず保持し続けた上で、同時に部分的に相手にその自分というものを明け渡すという、非常に厄介なことを実現しなければならないことになり、このため、多少のことでは揺るがない強固かつ柔軟な自己を得ないことには、この協調関係は構築し得ないと、思うのである。

  ▽  △  ▽
 
 私はたびたび、「愛」について考え述べたことがあるのだが、そこで私は愛について、「自らと同じくらい、時にはそれ以上に他者を大切に思い扱うこと」と、一応の結論付けをしてみた。しかしこれも、先ほど挙げたこの、「良き協調関係」をとことんまで洗練させたものであると言えるのかもしれない。
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「無」題 2004.11.6[Sat]
   
   ああ、人は完成されることのない存在であり、常に学び成長し進むしかないのに、せっかく学び成長して、現在に適応しようとしても、結局変化を余儀なくされて新たな相において再び新たなる学びと成長を経験せざるを得ない。
 しかしながらそれは次々と新たな相にチャネルが切り替えられるというものでもなく、相は常にわずかにしかし着実に変化を続けており、その変化が現状の己では許容ないしは対応しきれなくなったときに、仕方なく新たな相へと変化したことを認めるに過ぎない。

 人は生まれ育ち成熟し衰え死んで行く。
 外的な変化に翻弄される以前に、人そのものが変化であり、その中でその時点時点のさまざまな相に呼応した思考や行動を要求される。いや、要求するのは自らであり、それは生存と存続のために自らに要求するものである。

 だから、結局、学び体験し自らにそれらを取り込んで、やっとひと段落着いたと思えても、周囲を眺めるとまったく異なる自分がそこにいてまた麓に立っているような、そんな状態を何度も繰り返すような、至って不毛としかいえない虚無感の中に放り出されるばかりのように思えてしまうこともある。

 しかしそれでも人は進み生きてゆかねばならないから、いやそうすることが根本と自らの中で理由を脇に置いてでも信じるからそのようにできるのだろう。人は、生きることをあきらめてしまえば存続することはかなわないし、しかしそれなのにあきらめずに存続しようとしても、いつかはピリオドを打たれてしまう有限の生しかもっていないのだから、そもそも矛盾に満ちていて虚無そのものに見えるのは当然だ。

 しかしそれでも私はあきらめず幸福と安寧の中に生を全うしたいと願う。それが自己内の矛盾で有り得ないものであったとしてもやはりそれを切に願う。

 ここまでくるともはや悲劇的で絶望的で、どうしようもないもののようにすら思えてくるが、ならばせめて自らのためにもっと時間と労力を割き、せめて次にくるだろう新しい相に備え続けてやるくらいしかないではないか。
 それが結局安寧を求めるがゆえに苦悩の道を歩むという矛盾であったとしても、何もせず手をこまねきながら終末を迎えるときまでの時間を緩慢に待つよりはずっといいように思える。
 結局人はあの世に何も持っていくことはできないのだから、せめて今際の際(いまわのきわ)に、「とりあえずやれるだけやった」と諦めのつく生き方をしたいではないか。

 諦めるために生きてるのではないが、せめて自己満足のうちに終わらせたいではないか。

 諦念、諦観とは、決して虚無感でも現状放棄でもない。

  ▽  △  ▽

 こうなると居てもたっても居られなくなってくる。
 呆けている場合ではない、いたずらに偽善に走り自らと向き合うことから逃れようとしている場合でもない。
 もっと切迫した必死さと、如何(どう)にかしてくれという強い願いが心の底からわいてくるではないか。

 とはいえあまりに必死に飢えたようにがっついたところで、人は一人でいきているわけではないのだから、また無意味なのだが。悲壮感漂わせながら這いずり回ったところで、他を見る目を失ってしまっては、元も子もない。
 人が生きる場所が、人と人の狭間にしかない限り、他者とのかかわりの中に自らを見出しつつ、かつ他者とは独立した自己を作り上げていくという、これまた矛盾を抱えて進まざるを得ないじゃないかと思う。

  ▽  △  ▽

 このように無常観に満ちた思考を巡らせるのも、もしかすると常に思考を自己完結させ続けているからなのかもしれない。

 ああ、ともに学び考え伝え合う存在が切に欲しいものである。

 とはいえ、ここまで記してきたようなことをもし私が誰かに打ち明けられたなら、きっと眉をひそめて半歩下がること請け合いだが。

 そもそも私は存在そのものが矛盾なのだ。
 そしてそれは私の身勝手な孤高さから来るのだ。(大笑) 
 (言い捨ててどうする 笑)

 結局は、偽善・独善に陥りながら、いたずらに、または気づかぬうちに人より高い位置に立ち、他者への干渉によって自らのうちに秘めたる矛盾をごまかしながら生きたくないというだけのことなのだ。

 それは言い直すと、他者との相対の中にありながら、それでも絶対としての存在である私というものを信じ、その私という存在をして、よく生きたいというだけのことなのだ。
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備忘録 2004.11.5[Fri]
   
  忘れないようにキーワードメモ

脇の○標
話が違う
おやっさん
2課

いや、怖くないです笑い話なんです。
でもメモだけ。

ごめんなさい。こんな日記で。(爆
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業務日誌 2004.11.4[Thu]
   
   一時、仕事の内容が単一業務化した(かわりにボリュームはたぷりになった)せいで、ほとんどつけなくなっていた業務日誌を、再びきっちりつけ始めました。
 ということは、業務が単一でなくなってきたわけなのですが、なぜか元にあった単一業務のボリュームも増えてます。(笑)

 と、こんな書き出ししちゃったら、まるで単なる愚痴ですね。
 実はそのとおりです。(嘘)

  ▽  △  ▽

 日々の行いを、予定、実行、事後考察(反省)と3つのフェーズに分けて記すことで、管理するとともに能率、効率、ひいては能力の向上に充ててゆこうというのがこの業務日誌なわけですが、これが、あとに残ると、過去の業務「記録」へと変わっていきます。

 これは、仕事上だけに限定されるとはいえ、言うなれば僕の、生きてきた経過を記してきたものにもなるわけです。

 あとで読み返すことなど、まずないとは思いますが、それでも大事にしていきたいと思っています。

  ▽  △  ▽

 ところで、仕事外、オフの時間の自分の足跡はいったいどこに残ってるだろうと考えてみると、ここ数年は、ウェブサイト上なのだなあと、ふと気づきました。

 このサイトこそ、8月に開設したばかりですが、それまでも、98年に初のサイトを開設してから今年の3月まで、ずーっとウェブサイトの運営を続けておりました。そして、これこそが、僕の私生活においての記録なのかもしれないなあと、ふと思い至ったわけです。

 もちろん、不特定多数の目に触れる場所ですから、書けることも、ごくプライベートな部分は排除した、限定されたものになってはいます。それでも、こうやって毎日何かを書き続けているというのは、あとから振り返る記録としても、悪いものじゃないと思い至った今日なのでした。
 
 ずっと、続くといいなあ。 
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数字二題 2004.11.3[Wed]
   
   えーと。
 カウンタ4桁、今日、行っちゃいました。
 早いとも遅いとも言えるわけですが・・・なんと

 自分で1000ゲットしちゃいました。
 千取り合戦に勝利、って某巨大掲示板群じゃないんだから。

 閑古鳥サイトの悲哀ですね(笑)

  ▽  △  ▽

 数字といえば、テスト・ザ・ネイション。
 普段余りテレビを見ない僕なのですが、全国レベルの視聴者参加型番組ということで、ちょっと参加してみました。

 番組の内容はというと、ここ

 全国巻き込んでみんなで知能指数を計測して遊んで見ましょうという番組です。

 IQなんて、こだわるとろくな事はないわけですけど、スタジオ内にいる一般参加者(ゲスト)が、東大生、中央省庁の若手職員、タクドラ、料理人、専業主婦に銀座のママというカテゴリ分けされている時点で、もう完全にお遊びでしょう。(笑)

 IQてのは、平均が100になるように作られているはずなのに、全国平均が106だか107だったという、ちょっと?なところもありましたけれど、まあ、古舘伊知郎の司会でゲストとのトーク込みで2時間以上をかけて、70問もの問題を解いていくという時点で母集団はおそらく・・

  「若干自信ありげな忍耐力のある暇人」

 でしょうからきっと平均がわずかに高めなのも納得できるのかもしれません。
(納得も何も、僕の言い回しがわけわからんな・・汗)

  ▽  △  ▽

 とまあ、そんなわけで私も持て余した暇を利用して、やってみたわけですが、論理・数・知覚の分野はほぼ思ったとおりの結果だったものの、言語と記憶の分野が伸び悩んでしまいました。

 結果は・・内緒ということで(笑)
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パス2 2004.11.2[Tue]
   
   たくさん書いたけれど、パス。
 最後の1行だけアップ。


 目が覚めた。
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新札 2004.11.1[Mon]
   
   今日から新紙幣のお目見えですね。

 ここしばらく、何かの拍子にピン札(シワのないお札ね)が必要になるたびに、銀行の冷たい仕打ちに泣くこともなくなるというものです。
 新札への移行前は、紙幣の新規発行が止められて、古い紙幣の回収にウエイトが置かれちゃいますからね。

  ▽  △  ▽

 そういえば、今回初めて女性の肖像が紙幣のデザインに採用されますね。それが、樋口一葉なわけですが、採用紙幣が5000円ってのがちょっと、いかにもですね。
 5000円札は、ほかの紙幣より流通量少ないし、目立ちませんからね。最高額紙幣の半分の額と、補助的な感じが強いです。

 貨幣の5円、50円にしてもそうですね。
 まあ、500円玉のような例外もありますが、あれは、硬貨における最高額ですから、ちょっと意味合いが変わってくるでしょう。

  ▽  △  ▽

 樋口一葉といえば・・
 とある消化器系専門の病院のことが、知人と何かで話題に挙がったときに、僕にその病院のことを話す知人がしきりに

  「樋口一葉病院」

 というのです。

 いったいどんな病院なのか? 作家にゆかりのある病院なのかと訝しみながら、実際そこをたずねてみたら、そこには・・

  「樋口胃腸病院」

 脱線ねたでした。(笑)
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