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 2004年12月

実は 2004.12.29[Wed]
   
   昨日から、なきながら年賀状を作っています。
 馬鹿?w
 (だって忙しかったんだもん)

 手が空いたら、この日記含め更新予定w
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欠けはじめる月 2004.12.27[Mon]
   
   若干体調が悪い。
 置かれている状況も、実は非常によろしくない。

 自分の事を棚に上げて、他者に強硬な態度でいる。
 強硬にならざるを得ないような思いを抱えているからなのだけれど、だけど、強硬になればなるほど、自分が抱えている非が自身を責め、罪悪感にさいなまれる。

 自分に一片の非もあらぬ状態でないと、他者を非難しては行けないように思えてならない。
 けれど、一片の非もない人間になんてなれそうにない。

 だから僕は黙り込んでしまうんだ。

  ▽  △  ▽

 このように、逡巡する思いを扱いきれず、バランス取るどころか極端を行き来している、自分の思い。

 寛容を貫こうなんて、大きな間違いだったのかな。

 まあるい月が、澄んだ冷たい空に浮かんでいる。
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方針表明?w 2004.12.26[Sun]
   
   昨日は、BLOGについてちょっとばかり考えてみました。
 とはいえ、いくらテキスト読みに時間かけたからといって、それだけで日記かけないということはないだろうと言われそうなので、昨日の記事に補足したいと思います。

 実は、BLOGに触れた理由として、以前のサイトの形態とは一転、いったんはテキスト主体でないものとしてこのサイトを立ち上げてみたものの、やはり私の持ち味は、読み物としてのコンテンツ(コラム)とイラストだと思い直し、今一度、基本に立ち返って方針変換しようと思い立ったからというものがありました。

 そこで、テキスト主体サイトの一形式であり、最近大流行?のBLOGに注目し考えてみることで、自分の書く記事のスタイルや、それを束ねたサイトのありかたについて、考えられるのではないかと思ったわけです。

  ▽  △  ▽

 ここまで言ったからには、そう、今後、テキスト系コンテンツの充実を図ろうと思っています。
 当然そうなると、現在のサイトのデザインでは、記事を読むことについてかなりの弊害がありますので、サイトデザインそのものからみなおす必要があります。

 あーあ、言っちゃった。
 おおごとだぞーっと(汗) 
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BLOG一考 (あくまで私自身との親和性について) 2004.12.25[Sat]
   
   4日も日記サボっちゃった。

 えーと、公の方が落ち着いてきたと思ったら、今度は私のほうが多忙気味です。
 といっても、時間と手が取られるだけで、さほど大変ではないのですが。

 むしろ、日記書けてないのは他に理由があります。

  ▽  △  ▽

 ここしばらく、多めに時間を割いて、いわゆるBLOGというやつをあちこち読み漁っておりました。
 今更っていう感も無きにしも非ずですが、やっぱり、ずいぶん昔からテキストメインのサイトを運営している身としては、やっぱりしっかり見ておいたほうがいいかな、とか思ったわけです。なんていうと、今までBLOGについてはノーチェックだったのか、とか、そもそも今のサイトはテキスト系やめるつもりだったんじゃないのかとか、過去日記読んでる方は突っ込み三昧なわけですけどね。(苦笑)

 実を言うと、元々僕は、「BLOG嫌い派」だったんですよ。
 今でもどっちかと言うと、その気(け)はあります。

 BLOGと言うのは、そもそもウェブ(web)とログ(log)との造語ウェブログ(weblog)の略で、広義の定義から言うと、サイト運営者が、個人の興味に基づき、個人的観点から日々書き連ねられていく、ウェブ上で公開された記事の集まりを指すものであります。よって、「個人的な日々の出来事や感想」などを日々連ねていく「日記」とは一線を画するものであるといえます。

 これに加え、トラックバック(強引に言うと引用)やコメント、RSSへの対応などの要件や、これらがひとつのアプリケーションとして設計されることによる利便性や保守性の高さが、BLOGの売りなわけですが、それらについての言及はここではあえて避けて、話を進めようと思います。

 BLOGは、日々書き連ねられるという形式と、個人による運営がほとんどであるということから、どうしても、その時々の個人の興味に基づいてテーマがとりあげられますから、概ねライターの嗜好による方向付けや取捨は行われるとはいえ、その記事はどうしてもその時期にいて注目されている話題や、流行に影響されやすいし、複数のテキストの分類や全体としての方向付けみたいなものが、弱くなりがちなように思えます。
 つまり、その記事が書かれた時点での巷の人々の考え方や潮流などというものを捉えるには向いているものの、コンテンツの陳腐化が激しく、また、サイトの統一性が図りにくく、全体としての主題や方向性を訴える力に弱いという欠点があると、思えるのです。
 もちろん、こういった弱点を補強する記事の書き方はできると思いますが、BLOGという仕組みそのものが、そういう統一性やテーマ性を出しにくく、即時性の高い話題への対応には強い反面、ひとつのテーマを掘り下げるには向いていない仕組みだといえると思うわけです。
 そんなわけで、思考過程やその結論の積み重ねにより、ひとつのテーマをじっくりと掘り下げたい私としては、BLOGにおける記事の「軽さ」というか「腐りやすさ」が、BLOGに悪い印象を持ってしまう原因となっているのです。


脚注:
(*1)「インターネットのサイトやホームページ」って表現があまりにもわかってなさげでアレですが、まあ、日本では、ウェブサイトもしくはサイトと言う表現よりも、和製英語のホームページの方が通りがよいこともありますから、それはおいときましょう。 
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だだっ暗い(造語?) 2004.12.20[Mon]
   
   改めて自サイト読み返したのですが・・
 Wordにしても日記にしても、やたら暗いですね。

 でも、もともとこの暗さこそが僕の持ち味ではあります。
 うざったいくらいのこの湿った暗さがなくなったら多分、絵も詩も日記もかけなくなるでしょう。

 とはいえ、絵はち〜〜っともかいてないんだけどね。
 うああああ。

  ▽ △ ▽

 ところで、フリーノートって読んでくれている人、居るんでしょうか。
 あれも、不定期長文日記?くらいの位置付けなのですが。
 (毎日書かないものは日記といわないという突っ込みされると辛いです)

 いやその前に、このサイトに来てくれている人って片手で数えられるんじゃないだろうか。
 (とおもうとです・・ ひろしです 爆)

 プチひろし状態だ。(意味不明)

 あはは・・
 ちょっとへこむ。(笑えない)
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どんなに 2004.12.19[Sun]
   
  どんなにがんばったって足の長さ以上の歩幅はとれないし
どんなに止まろうとしたって時間の流れには押し流されていく

身に任せて進むしかない。
どうせ短い人生なんだから、焦らない。あわてない。無理しない。
でも諦めない。
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幸福論 2004.12.18[Sat]
   
  本当のしあわせを探したときに
愛し愛されたいと考えるようになりました
そしてあたしは君の強さも隠しがちな弱さも汲んで
時の流れと空の色に
何も望みはしない様に
素顔で泣いて笑う君にエナジィを燃やすだけなのです

本当のしあわせは目に映らずに
案外傍にあって気付かずにいたのですが
かじかむ指の求めるものが見慣れたその手だったと知って
あたしは君のメロディーやその
哲学や言葉 全てを
守る為なら少し位する苦労もいとわないのです

時の流れと空の色に
何も望みはしない様に
素顔で泣いて笑う君のそのままを愛してる故に
あたしは君のメロディーやその
哲学や言葉 全てを守り通します
君が其処に生きてるという真実だけで

幸福なのです


作詞:椎名林檎  作曲:椎名林檎  
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思慮と決断 2004.12.17[Fri]
   
   昨日の日記は、途中で始まって途中で終わる文章。
 今読み返してみたら、書いた意図も次に向かう方向もありゃしない(笑)

 整理できてないうちに書くからだな。(汗)

  ☆  ☆  ☆

 自分の速さでしか進めない。
 たとえ結果誤ることがあっても、そのとき全力で選んだ道を進むほか無い。
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はじまりは笑顔 2004.12.16[Thu]
   
  赤ちゃんの笑い顔や笑い声は、本当に笑ってるわけではないのだという話を聞いたことがあります。
生後10時間から6ヶ月までの赤ちゃんで実験した人がいるんです。
実験って言っても、微笑ましいものですよ。

赤ちゃんは、顔に反応するんだそうです。
それは、ヒトの顔、ヒトの顔のようにみえるもの。人形でも、絵でも、顔に見えるものを見ると、凝視します。
生まれた直後には、もう、この反応はあるんだそうです。
生まれながらに、人の顔を識別する力を持っているということになりますね。

そして、生後2〜3ヶ月位になると今度は、笑顔を返すようになります。
大人の顔に似たものほど、よく笑顔を返すんだそうです。
これを、笑顔反応と言うのだそうです。

 ▽ △ ▽

笑顔には、人の心を和らげる力があります。
そして、その力による庇護を、最大限に受け取る力が、赤ちゃんには生まれながらに備わっています。

人が最初に手に入れるコミュニケーションの手段は、笑顔で通じ合うことなんです。

赤ちゃんは、言葉のない世界から、少しずつ人間であることをはじめます。ひとつずつ人間であることを学び成長していきます。
そして、人間になっていくためには、通じ合う力を育てていく必要があります。

そのためのスタートが、笑顔だというのですよ。
なんだか、救われる話じゃないですか。

 ▽ △ ▽

先ほどの笑顔反射ですが、最初は、本物の人であろうが、絵や人形であろうが、お構いなしに反応していた赤ちゃんが、生後5ヶ月目くらいになると、絵や人形には反応しなくなってきます。
動物だと、ちょうど、カルガモの雛が、最初に見た動くものを親だと思い込むときのように、たとえそれが風船だろうがラジコンだろうが、いつまでも一生懸命追うものですが、人間の場合は、本能的な反応ですら、機械的な反応から抜け出て、社会性を持つ方向へ変化していくと言うことです。

物よりヒトへ意識が優先的に向くことで、よりたくさんの庇護を受けるとともに、社会性の発達への礎としていくわけですから、ヒトにとっての社会性の重要さがよくわかると思います。

すごいですよね。

さて、最後に社会性の発達という言葉がいきなり出てきましたが、これについては、おってまた考えて行こうと思います。
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希望の灯り 2004.12.15[Wed]
   
 

灯れ 皆に
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歩く花 2004.12.13[Mon]
   
  知ってるかい 忘れてはいけないことが
何億年も昔 星になった
どんな時代の どんな場所でも おんなじように見えるように

覚えたり 教えられたり
勉強したりするんじゃなくて
ある日突然 ピンときて だんだんわかることがある

ガードレールを飛び越えて センターラインを渡る風
その時 その瞬間 僕は一人で決めたんだ 僕は一人で決めたんだ

今日からは歩く花 根っこが消えて足が生えて
野に咲かず 山に咲かず 愛する人の庭に咲く

普通の星の下に生れ 普通の星の下を歩き
普通の町で君と出会って 特別な恋をする

ガードレールを飛び越えて センターラインを渡る風
その時 その瞬間 僕は一人で決めたんだ 僕は一人で決めたんだ

今日からは歩く花 根っこが消えて足が生えて
野に咲かず 山に咲かず 愛する人の庭に咲く

作詞・作曲 甲本ヒロト
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無間地獄 2004.12.12[Sun]
   
  それは、真実から目をそむけること。
永遠に救われない。

僕はくるくると、同じ場所を廻りながら、少しずつ登る。
登れないひとのことは、知らない。

僕は、人からもらった苦い言葉の汁を飲みながら心を育てる。
僕からの苦い言葉は、飲める人にしかあげないよ。
もったいないから。
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おだやかに 2004.12.10[Fri]
   
   んー
 傲慢かなぁ。自分。

  ▽  △  ▽

 ただ
 しずかに しずかに
 おだやかに

 祈ります
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fabricator 2004.12.8[Wed]
   
   虚構の存在だ。
 現実離れだ。

 それは妄想だ。異常だ。
 尋常じゃない。

 自分。

 今更無から始められないが無に返って歩きなおしたい。
 あっちからおいでおいでしてる。ヤバい。

 イかれてる。
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更新報告 2004.12.7[Tue]
   
   あまりにも違和感ありすぎる「禁断のゆったり」版日記の、デザインの整合性をとりあえず取ってみた。
 妙に殺風景。

 どうしたらいいのかな。困った。

 でも一応禁断と言うほどではなくなったかなとは思っている。
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危機感 2004.12.6[Mon]
   
   最近、腑抜けてる。
 ぬるま湯につかったような、麻痺した安心感だ。

 いいのかそれで。
 わざわざ何も無いところに不安を見つける必要は無いかもしれないが、いつも触角だけはくるくる動かしとかなきゃ。

 変化は、常に起こり続けてるよ。
 本当に、大丈夫かい? 僕よ。

 よし、しゃきっとしよう。
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やっと完成? 2004.12.5[Sun]
   
   本に栞を挟んでみました(笑)

 前からやりたかったのです。
 栞でメニューへ戻るというのを。

 最初にやらなかったので、なかなか実現しませんでしたが、今日何とか画像を加工して追加しました。

 これで、押しにくいメニューのアイコンをクリックする手間が省けます(爆)

 これで、当初のアイデアはほぼ盛り込み終わりました。

 あとは・・・
 長文をいかによみやすくするかだな。(汗)
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空・そら・ソラ 2004.12.4[Sat]
   
   12月です。
 冬空に壁紙を変更してみました。
 早く春が来ないかなあ。

 ひたすら眠っていました。
 冬眠です。
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みんな 2004.12.3[Fri]
   
   みんな一生懸命生きながら、でもあちこちに想いを残して生きている。

 ああ、あの時・・
 そう思いながら生きている。

 確かに、もっといい選択肢はあったかもしれない。
 だけど、そのときの自分の精一杯が、それだったんだ。

 過去は、既に確定してしまった事実についての記憶でしかない。
 未来は、無数の可能性があるかもしれないが、まだ手の届かぬ場所だ。

 触れられるのは現在しかないんだ。

 だけど、それでも、もうすぐ定年を迎えようとする、僕の最も敬愛するあの方は、自信と笑顔に満ちているように見えて、時折、ふと寂しそうな顔をするのだ。

 僕は、ほんの少しだけ、知っている。
 あの方が、何を心残りにしているかを。

 自分のことを嘆いているのではない。
 自らが体験できなかったがために、その次の世代にもしてやれなかったことに嘆いているんだ。
 僕はだから、あの方が大好きだ。

  ☆  ☆  ☆

 神が人を造り賜うたと言うが、現実には、人が人を生む。
 人が人を作る。

 人はどうやったって、不完全な生き物なんだ。
 それが人を作るんだ。どだい無茶なことをやってるんだ。

 だからこそ・・・
 あの方には、もっと元気に、いつまでも、第一線でがんばってほしい。
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あっという間に 2004.12.1[Wed]
   
   12月だ。

 眠りについて考えてみようと思ったのだけど、今ひとつうまくまとまらない。もうちょっと整理してみたいと思う。

  ▽  △  ▽

 ところで、今日、僕の絵を友達にほめてもらった。
 絵に一生懸命の人なので、それだけに、純粋に絵を見てくれたのだと思うと、今まで絵に対してもらった批評の中で、一番重みのあるうれしい褒め言葉だった。

 同時に、とても大切なことを再認識させてもらった。

 自信の泉源の由来は、能力からでも才能からでもないということ。
 これらは、自信と言う構造物を支える基礎ではあっても、実際の構造物本体にはなり得ないんだと。
 本体となるのは、その基礎の上に積み上げられた、労力と時間。
 かけた手間隙の量こそが、自信を裏打ちするんだと。

 そんな風に、感じ、考えさせてもらった。

 しかし、だとすると・・
 積み重ねてきた時間と労力が無駄になることが何よりも怖く、そして、塵芥に帰したときに絶望の口に飲み込まれるのだろうか。
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