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 2005年07月

泥臭い 2005.7.29[Fri]
   
  夜は僕の時間。
僕が僕だけの存在としていられる時間。

けれど、僕だけの時間であるがために・・
つまり、僕が僕以外のものからの干渉を受けずに居られるがために・・

昼であれば、余計な邪魔が入るせいで忘れていられる僕自身を意識し始める。そして、意識してしまう僕という存在は、到底僕に扱いきれる代物ではないわけで。

抱えきれない「僕」という難物を背負って迷走する。
抱えきれなくなって、酒や食物や活字や、その他ありとあらゆる「暇つぶし」に逃げる。

そうやって僕は「僕」自身から逃げおおせようと無駄な労力を費やすが・・・

僕が逃げようとしているのは僕の影。
逃げ切れない。僕は疲れ果てて倒れこむだろう。

 ▽ △ ▽

だから、僕には僕だけの時間なんて要らない。
僕一人だけの空間で緩やかな時間を過ごしたいとも思わない。

あわただしい日常の中に立ち上がり、人だの物だのなんだのと関わりながら、それらと一緒に駆け抜けていくしかないんだ。

それも意外と悪いもんじゃない。
ちょっと泥臭いくらいのほうがいい。
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過去日記 2005.7.28[Thu]
   
  振り返ってみると恥ずかしいことこの上ない。
だめだこりゃ。

 ▽ △ ▽

僕の脳みそは言葉ではちきれんばかりだけど、僕自身は言葉で出来てるわけでもないし、脳みそが僕自身と等価であるわけでもない。

僕の中に僕の一部として脳みそが納まってるんだし言葉にしてもやっぱり僕の中にそれを操る部分があるだけのこと。

なのに僕は言葉に迷い戸惑う。僕の中から出てくる言葉ですら僕自身を振り回してばかりだ。

けれど僕の中に納まってる言葉たちはどうやって収められたのだろう。

 ▽ △ ▽

僕の中にある言葉は、まず最初に誰かがいくつかの言葉を僕の中に放り込んだ。その後は僕自身がどっかから拾ってきて、僕という器の中に放り込んだ。

じゃあ、僕は言葉で考えているけど、言葉は僕自身が生み出したもんじゃなくて、外からの借り物でしかないんじゃないか。

僕の中から出てくる言葉が僕のものではないとまではいわないけれど、やっぱり、言葉で考える僕の「思考」は僕自身を表しているのではない。

吐いた言葉は、それを聞いた人間が、言葉を吐いた人間を理解する上での貴重?な資源になるから、人間は皆言葉に縛られてしまうわけだけど、逆にいえば、言葉から捉えた自分というのは、自分自身が感じ取った自分じゃないんじゃないだろうか。
他人の目で自分を捉えてるだけじゃないだろうか。

そう考えると、僕が僕自身を捉えることはできない?
僕は僕自身を理解しようなんてしなくても、僕の息遣いひとつ、動きの一つ一つがすべて、僕自身を既に表現してるんだから。

相手にどう感じ取られるかじゃなくて、僕がどうしたいのか。
そういうことにしておいて、僕が何者なのかなんて打っちゃっとけばいいのかもしれない。

 ▽ △ ▽

つーか既に人がどう見てるかなんてとっくに考えるのやめてるわけではあるが。
とにかく考えるても何も変わらないなら、考えるのやめてとりあえず動くし、動いてる間は考えない。

そんな感じ。
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ツバメ 2005.7.12[Tue]
   
  霞の向こうに新宿が見える
ツバメはうまくビルを縫っていく
今年はゆっくりと春がおとずれる

コインランドリーは歩いて2分
軽い口笛は少しの余裕
人ゴミだけは苦手だけど

そっちには僕の声とどいてますか
擦れ違う季節に思いをよせている
多分ね きっと変わらない この先もどこにいても


外食ばかりじゃ やっぱいけないね
タバコの量もちょっと多いかもね
少しなげやりになってるかもね

単純に物を考えるようにしてる
そうでなくたって手に余るから
僕にできること ただそれだけを

どっかで僕の唄 聞けますか
風に乗せるつもりで必死でつむいだけど
幸せずっと祈ってる この街のどこからでも

そっちには僕の声とどいてますか
擦れ違う季節に思いをよせている
多分ね きっと変わらない この先もどこにいても

      詞・曲/山崎将義

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