home
back
 2005年08月

逃す? 2005.8.29[Mon]
   
  欲望みたいなつまらないもの、無くなってしまえばいいのに。
こだわって、欲張って、とらわれて・・

一番大事なものを、逃してしまう。

なに? 一番大事なもの?
それもまた、欲から来ているのか? そうなのか?

ならば、僕がなくなってしまえばいい。
▲TOP  

みっともない思考 2005.8.28[Sun]
   
  自らのため、欲を満たすために生きていると、いつか行く先を見失ってしまう。
欲は満たしてもなお、際限なくわき上がってくるし、次々追い求めているうちに、そのそれぞの整合性がとれなくなって、ついには我を見失ってしまう。

関わりのあった人から贈られたもの、得られたことに感謝し、その志や恩にどう返していけばいいのか、そんなことを生きるための寄る辺にして生きられたら、どうだろうか。

なんて考えた瞬間、八方美人で自滅していく自分が見えた。
おまけに、返したくても、受けた恩を返す相手が見あたらない。

こういう状態を、きっと不幸というのだろう。(笑)
顔を向けるべき所を、無くしながら生きてるんだから。

そんなんだから、相変わらず、先が見えない。
きれい事が僕を避けて通り過ぎていく。
▲TOP  

宣言 2005.8.26[Fri]
   
   もう逃げるのは嫌だ。
▲TOP  

焦燥感 2005.8.25[Thu]
   
   呆けて過ごす。

  ☆  ☆  ☆

 呆け続けると、程なく何某かに携わりたくなる。
 じっとしていられないから。

 何もしないことで自分というものそのものを放棄する様式もあるらしい。そういう様式をニートというらしい。

 自分を何から放棄するかというと・・・

 社会。

 なんとなく、納得できるような気がする僕は、きっと社会にすねているのだろう。
 もしくは、僕は、社会に僕が僕であることの責任を擦り付けているか。

 ただ、少なくともひとつだけいえるのは、個人は、身を守るべく、今や否応なく社会に属しているけれど、社会はというとそんな弱みを見抜くかのごとく、次々と個人に対して、社会のほころびから来るいろんなしわ寄せを押し付けてくるってこと。

 ああ、よく考えたら、んなことはやっぱりどうでもいい。
 いくら社会を憂いても、僕がしょぼくれていることとは何のかかわりもない。
 ついでにいうと、社会がよくなったとて、僕の憂いは何の変化もしない。

  ☆  ☆  ☆

 自分から目をそむけるために、じっとしていることも一人でいることも極力排除しようとしているけれど、だからといって何かに打ち込むとか何某かを成し遂げんとするとか、そういう素振りも一向に見えないのが、僕。

 自分でいつの間にか作り上げてしまった殻から抜け出したいのに一向に行動には移さない僕は、結局小手先の逃げに終始している。

 なにかを始めることは、何かを背負うことだから、怖くてできないのか?

 いつの間にかできてしまった殻というのも、結局自分が動けないという大義名分を自らに与えるため。
 (それが大儀なのかというと、まったくそうではないんだが)

 言い訳のための言い訳なんだよ。そう、言い訳。

 そうやって、じりじりしながら動かない。
▲TOP  

影からの逃走 2005.8.24[Wed]
   
  どうこう言って、逃げている。
一人でいることから逃げている。

一人でいることが耐えられない。
それが、自分を正視できないってことなんだということには・・

薄々、気づいては・・・ いた。

わかっているんだわかっているんだ。だけどそれをやっちまうと、逃げ場を失ってしまうんだだってそれはどうやったって・・

動かぬ事実だから。
過去は、変わらないから。

 ☆  ☆  ☆

そう、だけど同時に、過去にせよなんにせよ、それをどう捉え受け入れていくのかは自分自身の内面、精神によるものだということはよくわかっているけれども。

わかっているけれども、そういう思考へと結び付けていかない理由は、たったひとつ。

なかったことにしたいから。
なにもない、過去の自分で居たいから。

そんなずるく卑怯な僕はいつまでたっても・・

逃げ続けるばかり。
そりゃ、どうしようも、ないよ。

 ☆  ☆  ☆

光を浴びている限り、僕の足元には影ができる。
影は僕について回る、僕は逃げられない。

光によって僕は歩む方向を見定める。
しかし、光は同時に僕に影まで与える。

影。
ついて回る、影。

それでも逃げるのか。
▲TOP  

Powered by HL-imgdiary Ver.3.00